スリランカの歴史

年代内容
紀元前4世紀~10世紀末シンハラ王朝(首都:アヌラーダプラ)
10世紀末~13世紀後半シンハラ王朝(首都:ポロンナルワ)
以後、シンハラ王朝はインドのチョーラ王朝(タミル軍)の侵略を受け、首都ダンバデニヤ、ヤーパフア、クルネーガラ、ガンボラへと移る。
1474年~1815年シンハラ王朝(首都:キャンディ)
1505年~1658年ポルトガルが一部植民地化
1658年~1796年オランダが一部植民地化
1796年~1815年イギリスが一部植民地化
1815年イギリスが全島植民地化(シンハラ王朝滅亡)
1815年~1948年イギリス領
1942年4月5日第二次世界大戦において、日本がコロンボ、トリンコマリーを爆撃
1948年独立(セイロン)
1951年サンフランシスコ講和会議にて対日賠償請求権放棄(ジャヤワルダナ全権大使)
1965年シンハラオンリー法制定
1972年完全独立(スリランカ民主社会主義共和国)
1975年LTTE(タミル・イーラム解放の虎)結成
1983年7月LTTEと政府の内戦開始
1985年第一回和平会議(インドの援助のもとにジャヤワルダナ大統領が開催)
1987年インドが平和維持軍を派遣し、インド軍VS.LTTEの戦いとなるが、憲法改正によりスリランカを9つの州に分割し、
権限を委譲することが決定。LTTEを除くタミル人過激派組織はこれを受け入れ武力闘争中止。
1991年5月インドでラジブ・ガンジー首相がLTTEの女性自爆テロ犯により暗殺される
1993年5月プレマダーサ大統領暗殺
1996年~1997年コロンボ市内で爆撃
1999年クラマトゥンガ大統領暗殺未遂(自爆テロで右目負傷)
2002年2月停戦強制締結(ノルウェーの仲介)
2003年~2005年和平会談は行われたが、停戦協定の間にもLTTEによるテロ行為は続いた。
2004年12月インド洋大津波で大きな災害発生。37,000人死亡
2006年10月LTTEは和平会談を拒否
2007年東部州を政府軍がLTTEの支配から奪還
2008年1月政府が停戦協定破棄、大規模な攻撃開始
2009年5月LTTEリーダー、プラバカランが政府軍との戦闘で死亡。約30万人のタミル市民が政府軍により救出された。
ラージャパクサ大統領が国会で勝利宣言し、スリランカの内戦終結
2010年1月大統領選挙が前倒しして行われ、ラージャパクサ大統領が紛争時の司令官だったフォンセカ前陸軍参謀長を破り再選。
その後の総選挙でも与党連合統一人民自由同盟が圧勝
2010年11月ハンバントータに南アジア最大規模となるマガンプラ・マヒンダ・ラージャパクサ港が開港
2011年11月日本のODAによるスリランカ初の高速道路がコロンボ~ゴール間で部分開業
2013年1月東山動物園(名古屋)にてメスのスリランカゾウが誕生。「さくら」と命名される
2013年3月南部・ハンバントータにスリランカ第2の国際空港であるマッタラ・ラジャパクサ国際空港が開港
2013年3月多摩動物公園(東京)にてスリランカから寄贈された2頭(アマラ・ヴィドゥラ)のスリランカゾウが一般公開開始。
2013年3月周南市徳山動物園(山口)にてスリランカから寄贈された2頭(ミリンダ・ナマリー)のスリランカゾウが一般公開開始。
2013年9月高速道路が空港~コロンボ間を延長
2014年9月安倍晋三総理大臣がスリランカ訪問した。(日本の総理大臣としての訪問は1990年、当時の海部俊樹総理以来24年ぶり)
2015年1月大統領選挙が前倒しして行われ、マイトリーパーラ・シリセーナ氏が当選し、10年ぶりの政権交代となった
2018年10月シリセーナ大統領がウィクラマシンハ首相を解任してラージャパクサ前大統領を新首相に指名し、議会を解散
2018年11月議会がラージャパクサ新首相の不信任案を可決。最高裁判所もラージャパクサ首相の権限を差し止める命令を出した